大正11年、流氷の海オホーツク海の網走側の斜里から、知床半島の付け根、斜里岳の東側を横断して根室側の標津まで、根北線として鉄道建設が計画された。
この第一幾品川橋梁(通称越川橋梁)は昭和15年に全長147メートル、高さ21,7メートルの10連無筋コンクリート、当時としては北海道最大の見事なアーチ橋として完成したものであるが、それから先は翌年太平洋戦争勃発からか、標津へ向けての延長工事は中断されたままとなった。
昭和32年11月に斜里駅から越川橋梁の直前、越川駅まで国鉄根北線として開通したが、日本第二の赤字盲腸線として橋梁にも線路の敷設がなされることなく、昭和45年11月末全線の運行が廃止となった。
主要道路を横断していた見上げるような越川橋梁は、昭和48年国道244号線の拡幅工事のため惜しげもなく二本の橋脚が撤去された。現在は国道の両側に分断された状態で保存されている。
平成10年7月23日登録有形文化財として文化庁の指定を受けた。
現在の状態から推察しても、昭和48年の国道拡幅工事の際橋脚を撤去することをせず、アーチの下をそのまま国道として利用、多くの犠牲者を弔う意味からも貴重な北海道の遺産として丸ごと保存して欲しかった。 |