旧国鉄士幌線アーチ橋梁収録について
☆☆ 国鉄士幌線とアーチ橋群
昭和の初期十勝国上士幌から石狩国ルベシベ(現在の上川)まで、大雪山を横断しての鉄道建設構想がなされた。昭和ニ年に帝国議会の協賛により予算づけされ、その後紆余曲折の結果昭和十ニ年九月糠平まで運輸営業として開通した。
一部は大雪山国立公園の中にあって、景観を重視して造られたアーチ橋に支えられ、昭和十四年には十勝三股まで延長開通させた。
その後電源開発のための糠平ダム築造に伴い、路線の一部が切り替え変更となった。不要となった十一連のタウシュベツ川橋梁は撤去されることもなく、昭和三十八年からは水没する運命となったものである。
林産業の衰退による過疎化には勝てず、昭和五十三年からは糠平・十勝三股間がバスによる代行運行となった。大雪山横断鉄道も不況と過疎化という大きな壁に阻まれ、昭和六十二年、三国山地を越えることなく夢のままとなり、帯広から運行されていた国鉄士幌線全線が廃業撤廃された。
タウシュベツ川橋梁はダムの水位増減により冬期にはその全貌を現し、初夏までは見捨てられてもなお、背景のニペソツ山と共にその美しさと偉容を見せつけ、夏場には水没する幻のアーチ橋となっている。長期間に亘る水没と凍結の繰り返しによる風化が著しい。
また、山間に取り残された一部手つかずの橋梁には、廃線となっていかに永い年月が経っているか、枕木を外された路床で、今なお成長しつづける樹木が語りかけていた。
これらは地元をはじめとして、多くの保存会有志の方々により手厚く見守られ、その中には平成十一年八月、国の有形登録文化財として指定を受けた橋梁もある。これらの美しさに魅せられるアーチ橋群は奇しくも ”大雪山国立公園”のエリアにあるので敢えて ”大雪の美”の一部として登載することにしました。 |
各 橋 梁 群 へ の 扉
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